2024.11.13
たくさんの「心のメンター」に支えられ
原子力のコンサルティング
日本エヌ・ユー・エス株式会社は、エネルギーと環境を扱う技術コンサルティングの会社です。私はエネルギー事業本部に所属し、入社以来ずっと、原子力に携わってきました。
欧米の原子力安全規制・技術動向に関する文献調査、訪問調査、専門家へのヒアリングなどを行い、その知見を国内のお客さま(国、電力会社やプラントメーカーなど)に提供し、共に課題解決に取り組むというのが主な仕事です。
入社は1986年。この年は、男女雇用機会均等法の施行元年だったので、幸運にも、女性の人材を求める原子力関連のメーカーなどからいくつかのオファーをいただきました。ありがたいことでしたが、私は自ら調べて探し当てた今の会社を選びました。
学生時代はウランの化学実験に没頭し、研究にやりがいを感じていましたが、一方で、研究室で専門性を突き詰めていくより、もう少し広い視点で原子力というものを見てみたいという気持ちも芽生えていました。
ですから、コンサルティングという職種を目にしたとき、この仕事なら、原子力を産業として見渡しながら、社会と広く関わることができると思ったんです。当時は外資系だったという会社の背景もあり、自由でおおらかな社風を感じたことも入社の動機になりました。
駆け出しのコンサルタント
私が入社した年の新入社員は二人だけ。大企業のようなマニュアルや研修はなく、先輩たちの仕事ぶりを見ながら、実践でスキルを身につけていかなくてはなりません。
アメリカの研究論文や文献を徹底的に読み込み、報告書にまとめて先輩に見てもらうのですが、ほぼ全部の文章が真っ赤に修正されて戻ってきます。再提出すると、また真っ赤になって戻ってくる。それを無限ループのように繰り返しているうちに、当時は手書きだったので、自分の字が先輩の赤字の筆跡に似てくるほどでした
報告書が完成すると、次はお客さまの前でプレゼンテーションを行います。人前で話すのは苦手でしたから、暗記してしまうほど何度も繰り返し練習するのですが、それでも本番はたいへん緊張しました。
ある日のプレゼンテーションで、お客さまがとても熱心に聞いてくださったので、よかったとほっとしたのですが、最後に「女性に説明されたのは初めてです」とひとこと。熱心に聞いてくれたのは女性のコンサルタントが珍しかっただけとわかり、がっかりしました。
この話には後日譚があります。実はこのとき、そのお客さまは、自身の会社における女性の採用について検討されていたのです。翌年、「今年はじめて女性を採用したので、相談することが出てきたらよろしくね」と言われ、1年前の事情がわかり、すっきりしました。男女雇用機会均等法が施行されたとはいえ、女性の採用はまだまだ手探りの時代でした。
はじめは何もできず、日々学ぶことばかりでしたが、それによって知識が増え、実践を経験して成長していくことは楽しくもありました。もちろん、さまざまな苦難もありましたが、それを乗り越えてくることができたのは、私が「心のメンター」と呼ぶ、多くの方々との出会いがあったからです。
「心のメンター」国内編① 頼れる先輩と「白馬の騎士」
大きな海外調査団の調整役をしていたとき、アメリカ側のスタッフが急に転職してしまったことがあります。その穴埋めが全部のしかかってきたときには、さすがに心が折れそうになり、慕っていた先輩の元に駆け込みました。
その先輩は、別の部署にいた女性でしたが、「何言ってんの、やるだけよ!」と一蹴。しかし、その一言で、どれだけ楽になったことか。私は涙を拭い、国内外の調整を進めるエネルギーも湧いてきました。その先輩の声は、今でも私の背中を押し続けています。
後任のアメリカ人スタッフとはじめて連絡が取れたときには、「白馬の騎士」が現れたと思いました。その「白馬の騎士」とは今でもよく一緒に仕事をしています。
「心のメンター」国内編② 頼れる上司と子連れの海外研修
私は、当社での育児休業取得第1号です。入社8年目で実績も見えてきた時期だったので、長く休むことに少し迷いましたが、後輩たちの道を開くためにも、まずは私からと決心しました。
とはいえ、男性の上司に話すときには勇気がいりました。開口一番「おめでとう!」と言っていただいたときは、心からほっとして、良い上司に恵まれたことに感謝しました。
そして約1年後、無事に職場に復帰し、仕事と育児の両立に奮闘していたころ、なんと3ヵ月間のアメリカ研修を命じられました。「1歳の子供をどうしたら・・・」と思う間もなく、上司から「まだ1歳でよかった。そんなに走り回らないから、今のうちが楽だよ」と言われたんです。
このときは、感謝したと同時に驚きました。つまり私は、子連れでアメリカ研修に行くことになったのです。子供を見るため私の母に同行してもらい親子三代の珍道中でしたが、一生忘れられない経験になりました。
「心のメンター」国内編③ お客さまの「魔法の言葉」
海外調査に何度かご同行したお客さまで、「せっかくだから」という魔法の言葉を授けてくださった方がいます。その方は、「どうしましょうか?」と相談すると、決まって「せっかくだから」と言って前向きに仕事を進めるのです。
さまざまな課題を共に解決していくうちに、私には、「せっかくだから」という言葉が魔法の呪文のように思えてきました。それまでは、どちらでもいいという場合、やらない方を選ぶこともあったのですが、真似して「せっかくだから」と言うことで、思い切って行動する勇気を手にすることができました。
このインタビューの依頼があったときも、もちろん魔法の言葉を唱えました(笑)。その方のおかげで、「せっかくだから」とつぶやきながら、今でも新たな挑戦を続けているんです。
「心のメンター」海外編① はじめて知った「メンター」という言葉
子連れの海外研修では、アメリカ人のプロジェクトマネージャーにたいへんお世話になりました。細かく心配りする方で、相手の気持ちや立場を考えて発言するので、チームの雰囲気も良く、周囲から信頼を得ていました。アメリカ滞在中の3ヵ月間、私にも毎朝必ず声を掛けてくれました。
その仕事ぶりを間近にし、私もこういう人になりたいと心から思いました。師と仰ぐ人を英語でどう表現するのか、同じチームのアメリカ人に聞いてみたら、「It’s called a mentor」と教えてくれました。私は、このときはじめて「メンター(mentor)」という言葉を知り、そのマネージャーに「You are my mentor」と伝えることができたんです。
「心のメンター」海外編② 最高のロールモデル
1991年にベルリンで開催された国際会議に出席したときのことです。講演の内容が難しくて四苦八苦していたところ、隣の席の女性がすらすらメモを取っていたので、教えてもらおうと思い切って声をかけたら、とても丁寧に教えてくれました。それが、私にとって一番大切な「心のメンター」であるゲイル・H・マーカスさんとの出会いです。
日本が大好きだというマーカスさんからその日のランチに誘っていただきました。そこで、彼女が全米初の女性の原子力工学博士で、その会議の招待講演者である米国原子力規制委員会(NRC)のケネス・ロジャーズ委員の技術補佐として委員に随行されてきた方であることを知り、驚きました。
マーカスさんは、その後、米国エネルギー省(DOE)や経済協力開発機構の原子力機関(OECD/NEA)の要職に就き、また、米国原子力学会(ANS)の会長も務められ、本当に雲の上の方です。にもかかわらず、ご来日時や私の出張時などに気さくにお会いする機会を設けていただき、いつも深い見識と包み込むような優しさを持って私の話しを聞いてくださいました。私のキャリアの早い時期にすばらしいロールモデルに出会えたことは、幸運でした。
マーカスさんには、当社が立ち上げた「世界の視点」というサイトの「Dr.マーカスの部屋」に一連のエッセイを寄稿いただくとともに、福島第一原子力発電所の事故直後に各国の専門家にエッセイを依頼した「ポスト福島に向けて」というサイトにも、寄稿いただきました。専門性の高い独自の視点から、事故後の日本が歩むべき道を示した文章を目にしたときには、感謝の気持ちで一杯になりました。
「ポスト福島に向けて」には、私の最大のピンチを救った、あの「白馬の騎士」も寄稿してくれました。福島の事故後に彼が来日し、再会したときには、「今回の事故の教訓が、世界の原子力の安全性をさらに向上させるのだから、そのための情報発信をしっかり頼む」と言われ、どれほど励まされたか知れません。
魅力的な「原子力」の世界
私たちは、日々電気を使って暮らしています。急速に進歩する世の中の歩みを止めることはできず、未来に向けて、さらに大きな電力が必要となります。さまざまな意見があることをわかったうえで、私は、その社会を支えるために、「原子力」は必要な技術だと考えています。
例えば、ゴミ焼却施設は必要ですが、近くに建設されることになったら、臭いや煙や有害物質を心配し、反対されるかもしれません。でも、それが必要な施設なら、心配な部分を克服するのが技術者であり、理解されるよう調整するのが国の役割ではないかと思うのです。「原子力」にも同じことが言えるのではないでしょうか。
私たちは、使う目的を誤ってはならない「原子力」という難しい技術を、暮らしに不可欠な「電力」としてより良い使い方をしようとしています。
そのためには、「安全とは?」を追求する哲学やコミュニケーションも大事で、技術だけではない、多様な役割を担う人々の力が必要です。
多くの専門性を持つ人々の力が結集し、経済や社会に大きな影響を与えながら、ダイナミックに動いているのが「原子力」の世界です。
その中の一員として、私は、この世界の奥深さに魅力を感じています。
ですから、未来を担う若い皆さんにも、ぜひ原子力の仕事に携わっていただきたいと思います。
私が、自ら選択したこの世界で、これまで仕事を続けて来ることができたのは、家族や会社の仲間たちをはじめ、常に支えてくださった多くの方々のおかげであり、そのひとり一人が私の大切な「心のメンター」です。
その全ての出会いに感謝しながら、これからも自らの道を歩んで行きたいと思います。
(この記事の内容は、インタビュー当時のものを掲載しています)