Kyoko Oba

work#04

Kyoko

Oba

大場恭子

日本原子力研究開発機構(JAEA)技術主幹

長岡技術科学大学

技学研究院量子原子力系准教授

  • 1998年

    慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科修了

  • 2002年

    金沢工業大学科学技術応用倫理研究所研究員

  • 2012年

    東京工業大学大学院グローバル原子力安全セキュリティエージェント教育院特任准教授

  • 2015年

    日本原子力研究開発機構(JAEA)技術副主幹

  • 2021年

    クロスアポイントメント制度により、長岡技術科学大学技学研究院量子原子力系准教授

2024.08.20

母として、専門家として向き合った福島第一の事故

「原子力=爆弾」と思っていた子供時代

子どものころ、夏休みの8月上旬には、広島市の親戚を訪ねるのが恒例でした。毎年「原爆の日」である8月6日前後には、原爆が投下された地域に滞在していたこともあって、子ども時代の私の心には、夏休みの思い出とともに「原子力は爆弾だ」というイメージが深く刻まれていました。

ですから、受験生の頃に「原子力発電」という言葉を聞いたときには、「爆弾でどうやって電気を作るの?」という疑問が湧き上がり、今から考えると、それが原子力への興味に変わっていったように思います。

大学時代には、東京電力のPR館だった渋谷の「電力館」によく行きました。
原子力発電に関する展示を見るだけでなく、自転車を漕いで発電するコーナーで発電の新記録を打ち立てたり、IHクッキング教室など、さまざまなイベントにも参加しました。

専門家の講演がきっかけで、原子力の世界へ

「電力館」のイベントでとくに楽しみだったのは、8階のホールで開催される講演会。毎月スケジュールをチェックし、様々な専門家の講演を聞いていました。
中でも茅陽一先生の講演では、温暖化や環境破壊など地球規模の課題をとてもわかりやすく解説いただいたことと同時に、それらの問題に取り組む先生の姿に深い感銘を受けました。

やがて卒業後の進路を考える時期になったとき、「電力館」で講演を聴講してから憧れていた茅先生が、東京大学を退官なさり、慶應義塾大学にうつられていたことを知りました。
私は茅先生の下で学びたいという一心で、大学院への進学を決めました。

私が進学したころ、茅先生は原子力政策円卓会議のモデレータであり、1997年に開催された地球温暖化防止京都会議(COP3)でも重要な役割を担っていらっしゃいました。
常に広い視野でエネルギーや原子力、環境問題に関わっていた茅先生に学んだことで、原子力と社会の関わり方に興味を持ち、これがその後の研究生活の土台となりました。

ピタリとはまった「技術者倫理」

大学院を修了後は、さらに自分の興味を突き詰めたいと思い、社会学や原子力工学の研究室に所属しながら、原子力技術の社会受容性の問題などに取り組み、独自の研究を続けました。

ちょうどそのころ、世の中では、技術者の規則やマニュアルの逸脱による不祥事が相次いだことから、工学教育における「技術者倫理」が重要視されはじめました。
原子力学会でも倫理規程が制定され、2001年には倫理委員会が発足し、私も委員として参加しました。

「技術者倫理」という切り口は、技術の担い手である「人」を中心に原子力を考えようとしていた私にピタリとはまりました。
「技術者倫理」は、原子力技術を取り巻く複雑な社会や組織、人間を考えるうえで重要なキーワードだからこそ、もっと深く掘り下げてみたいと思ったんです。

そして、当時、日本の「技術者倫理」教育の先陣を切っていた金沢工業大学の科学技術応用倫理研究所の専任研究員として、「技術者倫理」に取り組むことになりました。

それから10年が経過した2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震とそれに続く福島第一原子力発電所の事故が発生しました。

母としての福島第一原子力発電所の事故

震災の当日は東京でも大きく揺れましたから、4歳の息子と2歳の娘を保育園へ迎えに行き、無事な姿を見たときにはほっとしました。
でも翌朝、いつもどおり私が朝のランニングに行こうとすると、子どもたちが目を覚まして「行かないで!」と言うのです。そんなことははじめてでした。

大きな地震を体験した恐怖が、子どもたちの心に不安の影を落としていたんだと思います。
私は子どもたちの心を守るために、津波の映像などが目に入らないようテレビを消し、片時も離れずに週末を過ごしました。
震災が発生した金曜日から、その後の土日を含めて3日間は、私もニュースを見ませんでしたから、ほとんど情報が入って来ない状態でした。

ですから、月曜日に職場へ行き、福島第一原子力発電所の状況を把握したときには衝撃を受けました。その日の11:01には3号機で水素爆発が発生し、ショッキングな映像が次々と目に飛び込んできました。
そのとき私ができることは、科学的な情報をわかりやすく発信し、人々の不安を少しでも軽減することでした。

息子の出産を期に子育てサークルを作り、保育園の父母会会長もしていた私は、多くのパパ友ママ友のメールアドレスを知っていたので、「私は原子力の専門家です。不安なことがあれば何でも聞いてください」というメールを一斉送信しました。
質問はすぐに届きはじめました。
「外に布団を干したらダメ?」「二人目を妊娠していいのかわからない」「子どもを外で遊ばせても大丈夫?」「雨にあたっちゃったんだけどどうしよう」

その一つ一つに、科学的根拠に基づきながら私なりに伝わるように回答し、自分がどう行動しているかも書き添え、質問者が特定されないよう配慮したうえで多くの方と情報共有できるよう一斉返信しました。
メールのやりとりは1ヶ月以上続きましたが、その時は、どれくらい、どんな風に役立っているのかはわかりませんでした。

ですからしばらくして、「情報が錯綜して何を信じていいのかわからなかったときに、親しいママ友が実は原子力の専門家で、事故後さまざまな情報を発信してくれたメールは信頼できて安心だった」というブログ記事を目にしたときには、うれしくて涙がとまりませんでした。

専門家としての福島第一原子力発電所の事故

事故を契機に、もっと原子力に集中したい、福島と向き合いたいと強く思ったことで、働く場所や活動の内容も変わっていきました。
原子力に携わる企業のセミナーや講演会で講師を務めたり、小学校の課外授業で放射線の話をしたり、地域の方々との交流会に参加したり、求められればどこへでも出向きました。

「技術者倫理」からスタートした研究も、より一層組織文化や安全文化に目を向けるようになり、レジリエンス・エンジニアリング、原子力防災、リスクコミュニケーションという方向に広がっていきました。

今その視点から日本の原子力業界を見渡したとき、私には大きな懸念があります。それは、福島第一原子力発電所の事故から13年以上が経過し、月日とともに、事故を起こしたという現実が風化していくことです。

JR東日本は、事故の教訓を忘れないために事故車両をそのままの状態で保存しています。
私を含め原子力に携わる人たちが、原子力を扱うことの責任の重大さを決して忘れることがないように、そして、原子力技術を担う人々に事故の現実を伝えるために、福島第一原子力発電所や周辺地域でも、痛ましい残骸の一部を現物のまま残す方法などを考えていきたいと思っています。

「クロスアポイントメント制度」で「二足の草鞋」

「クロスアポイントメント制度」とは、研究者が大学、公的研究機関、民間企業のうち二つ以上の組織と雇用契約を結び、一定の勤務割合の下で、研究、開発、教育などの業務に従事することを可能にした制度です。

私はこの制度により、日本原子力研究開発機構(JAEA)と新潟県の長岡技術科学大学の両方で仕事をしています。
これまでの研究や活動の成果をもっと教育に活かしたい、後進を育てたいという願望を持っていたので、3年前に、長岡技術科学大学からいただいたこのオファーはたいへん魅力的でした。

ただし、週の半分は家を離れて長岡に来ることになるので、家族の理解が必要です。子どもたちは「いいんじゃない」と言ってくれましたが、家族と離れる時間が多くなることには大きな不安がありました。
そんな私の背中を押したのは、下の娘が間もなく中学生になることから、スマホを持ちはじめたというタイミングでした。

思い切り愛情を示す

新潟にいるときは、一日に何度も子どもたちとスマホで連絡を取り合っています。「今電車に乗るところ。混んでるからいやだよー」とか「友だちとマックでポテト食べてる!」とか、ときには画像付きで送られてくるので、東京にいるときより身近に接しているような感じもします。
そんなやりとりもスマホあってこそですから、子どもたちがスマホを持つ年齢になっていなければ、続けられていないと思います。

私の中では、子育てはどんなことよりも最優先です。
そして、「愛情表現ははっきり、しつこく」が私の子育てのモットーです。「ママの子に生まれてきてくれてありがとう」と感謝し、「大好き」と何度も言って、家にいるときは今でも毎日ハグしています。

「二足の草鞋」で東京と新潟を行き来する日々に、子どもたちは、「こんなつもりじゃなかった」と不満を漏らすこともありますし、家族や周囲の人たちがどう思っているのか、本当のところはわかりません。
でも、将来子どもたちが、私が選択した働き方を理解し、認めてくれたらうれしいと思いますし、今、自分の力を存分に発揮できる場所にいられることに心から感謝しています。

(この記事の内容は、インタビュー当時のものを掲載しています)