Katsumi Takamizawa

work#08

Katsumi

Takamizawa

高見澤香津美

関西電力株式会社

立地室 立地グループ副長

  • 1988年

    福井県立敦賀高等学校卒業

  • 1988年

    関西電力株式会社入社
    福井原子力事務所(現若狭支社)土木建築課

  • 1996年

    若狭支社 環境モニタリングセンター

  • 2009年

    原子力事業本部 地域共生本部 地域共生グループ(福井)

  • 2011年

    京都支店 支店長室 人材活性化グループ

  • 2018年

    原子力事業本部 地域共生本部 広報グループ

  • 2019年

    原子力事業本部 地域共生本部 地域共生グループリーダー(福井)

  • 2024年

    立地室立地グループ(福井班)副長

2026.05.29

仕事を超えて、地域と共に歩み続ける

地域とのコミュニケーション

鉄道や空港、ごみ処理施設など、社会基盤を支える大規模なインフラ設備は、暮らしや産業に欠かせない一方で、立地する地域にさまざまな影響をもたらします。
だからこそ、事業者には、計画の前段階から運用に至るまで、地域の方々との対話を重ねながら理解と信頼を築いていくことが求められます。

原子力発電所など、電気事業を支える各種設備もそのひとつであり、電力会社には、地域とのコミュニケーションを担うさまざまな部署があります。そのなかで私が所属する立地室立地グループ福井班では、原子力発電所のリプレース(建て替え)検討に関する地域の理解活動に取り組んでいます。

原子力発電所の設置には、地元のご理解を前提として、計画から環境影響評価、建設工事、運転開始に至るまで、20年程度の長い時間がかかります。私たちは、発電所と地域社会が長く共存していくための橋渡し役を担っており、地域の方々の信頼を得るため、息の長い地道なコミュニケーション活動を行っています。

その仕事の第一歩は、用事がなくても毎日、町内をウロウロすること。
道で出会った方に「こんにちは、いい天気ですね」と声をかけ、顔を覚えていただくことから始まります。

私も地域の方々全員の顔と名前を覚え、お祭りや行事のお手伝いをしたり、ときにはお困り事の相談に乗ることもあります。
日常的に顔を合わせることで、会社の代表としてではなく、「一人の人間」としての関係を築いていく。
それが何より大切なことなのです。

思いがけない再会

立地室立地グループ福井班は、美浜原子力発電所が立地する福井県美浜町で主に活動しています。そこで私が担当するのは、「福井県原子力平和利用協議会(以下「原平協」)」という団体の美浜支部です。
「原平協」は、地域の方々が自主的に参加し、原子力の平和利用推進を目指して活動している民間団体です。

私は配属されて間もないころ、上司から、「原平協は全国的にも有数の住民主体の組織なので活動をしっかりサポートするように」と言われました。
原平協美浜支部で特にお世話になっている副支部長さんは地元で運送会社を経営し、商工会の役職なども務める女性経営者です。

はじめてご挨拶にうかがったときは、第一印象がすべてを左右すると思い、とても緊張しました。
ところが、「担当することになった高見澤です。よろしくお願いいたします」と挨拶すると、「高見澤さん、おかえりなさい」という思いがけない言葉が返ってきたのです。
そのあたたかい言葉にほっとしたと同時に、なぜそう言われたのかわからず戸惑ってしまいました。

私は2011年に、福井市内の事業所から京都支店へ異動になりました。実はそのときの引っ越しで、自らハンドルを握りトラックを運転していたのが、当時から運送会社を経営していた副支部長さんだったのです。

仕事を超えたつながりを実感

10年以上も前のことを覚えていてもらえたことに感激した私は、そのことに報いたい一心で、とにかく早い返答や報告を心掛け、副支部長さんを全力でサポートしました。

はじめは事務的なやりとりばかりでした。
それでも、依頼された書類の修正をすぐに持参すると、「えらい早く持ってきてくれたね」と声をかけてくださり、しばらくすると、「パソコンの調子が悪いんだけど見てくれる?」と直接電話をもらえるようになりました。
私は、頼りにされたことがうれしくて飛んでいきましたが、そんなことが重なるうちに、少しずつ距離が近づいていったように思います。

ある日「あなた、一人暮らし? 今日帰る前にうちに寄っていき」と声をかけてくださいました。何度かお伺いするうちに、仕事の話を離れて、家族のこと、趣味や悩みなど何でも打ち明けられる存在になり、今では家族のように親しく接していただいています。

その様子を見た上司から、「副支部長さんに頼りにされているんだね。よかったな」と声をかけられたときは、込み上げてくるものがあり、胸がじんと熱くなりました。
もしかしたら私は、この地域で「一人の人間」として受け入れてもらえたのかもしれない。
そう感じられたことが何よりもうれしかったからです。

地域の方々とのお付き合いは、イベントや行事ごとの関わりではなく、原子力発電所がその地にある限り長く続いていく関係ですから、私たちはこの土地に根付いていかねばなりません。そのうえで育まれていく絆は、仕事を超えたつながりです。
私は、この仕事に携わってはじめてそれを実感しました。

美浜原子力発電所のリプレース検討

国の第7次エネルギー基本計画では、2040年度の電源構成に占める原子力の割合を2割程度とし、次世代革新炉への建て替えの方針が示されました。
今後、全国で原子力発電所の再稼働が進み、すべての発電所が運転開始から60年まで運転するとしても、2040年以降、原子力の設備容量は大きく減少します。そのため、建設リードタイムも踏まえると、今から建て替えに向けた取り組みが必要なのです。

そうした中、関西電力は、昨年7月、美浜原子力発電所のリプレース検討のための自主的な現地調査の再開を公表し、11月からボーリング調査に着手しました。
原子力発電所のリプレース検討に向けた動きは、2011年の福島第一原子力発電所の事故以降、国内で初めてであり、世間からも大きな関心を持たれることとなりました。そのような中、関西電力が公表するより前に調査再開が報道されてしまったのです。

関西電力からご説明する前にテレビのニュースで知ることになった皆さまは、どんなふうに受け止めておられるのかとても心配で、私はすぐに原平協美浜支部の方々に電話をしましたが、皆さんからの反応は、「ようやく調査が再開されるのならよかったね」というものがほとんどでした。

その言葉の背景には、先輩たちが、半世紀以上かけて地域の方々と共に築き上げ、今に続いている堅固な信頼の土台があると感じました。 その礎に支えられた美浜原子力発電所のリプレース検討に向けた取り組みは、データセンターや半導体工場の新設により電力需要の拡大が見込まれるなか、日本のエネルギーを支えるうえで大きな意味を持つ一歩になると思っています。

次世代革新炉開発ロードマップ(2026年4月8日)
※2026年4月16日に、停止していた柏崎刈羽原子力発電所6号機が再稼働し、営業運転を再開

後輩へつなぐ道を開拓

私が1988年に入社して初めて配属されたのは、男性ばかりの土木建築課でした。そこでの仕事は、お茶を入れ、書類を整理し、出張費の精算をするといった男性社員の補助的な業務ばかりでした。

何年かすると、同期の女性たちがいわゆる「寿退社」をしていき、正直居心地悪く感じることもありました。
それでも長く仕事を続けたかった私は、「他にできることはありませんか?」と積極的な姿勢で取り組み、自分の仕事の幅を広げてきました。
その過程では、女性が一人だけという職場が多かったこともあり、何度も壁にぶつかりました。

社用車を運転する「車両認定」を若狭支社(現在、原子力事業本部)の女性社員で初めて取得したとき、社外教育の教官から、「女性だから甘やかすと思うなよ」と言われ、ことさら厳しく指導されました。
そのときは、一緒に研修を受けていた男性社員が、さすがに厳し過ぎると訴えてくれたことで指導が改善され、以降は女性社員も安心して研修に参加できるようになりました。

女性の働きやすさについては、社会でもまだ試行錯誤が続いていた時代であり、当時の私は、そうした苦労は乗り越えねばならないものと思い込んでいました。

今では後輩の女性たちから相談を受ける立場となり、頼りにされることもあります。そんなときは、さまざまな経験に裏打ちされたアドバイスをすることができますし、苦労したおかげで彼女たちの進む道を開拓できたかなと思っています。
現在の仕事においても、地域の現場で女性が力を発揮できることを示したいですし、それがさらに、後輩の女性たちの道を切り開くことにつながればと思います。

この地と共に未来へ

1988年に入社して土木建築課に配属されたとき、ちょうど大飯原子力発電所4号機の建設が始まっていて、建設に携わっている人たちの話からは、現場の熱気や高揚感が伝わってきました。

その活気に満ちた様子を見て、私は、「いつか自分も新規建設に関わる仕事をしたい」と思うようになりました。
以来、上司と今後のキャリアについて面談する際には、その思いを伝え続けましたが、「そんなことは当分ない」と言われることが多く、いつの間にか口にすることもなくなっていました。

しかし、今、若き日に思い描いた夢が、長い時間をかけて現実になりつつあります。
私は、在職中に新しい発電所の完成を見ることはできません。それでも私は、定年後もずっと変わらずこの地で暮らしていきます。

私にとって地域の方々との関わりは、どこかで区切りをつけるものではなく、ずっと続いていくものです。
ここで出会った方々には心から感謝していますし、一生のお付き合いをしていきたい。
そして、この地を末永く見守りながら、地域の方々と共に生きていきたいと思います。
(この記事の内容はインタビュー当時のものです)