Tomoko Nakanishi

work#09

Tomoko

Nakanishi

中西友子

東京大学名誉教授・特任教授

福島国際研究教育機構(F-REI)監事

  • 1978年

    東京大学大学院理学系研究科博士課程修了、理学博士

  • 1978年

    財団法人実験動物中央研究所 研究員

  • 1982年

    日本ゼオン株式会社 技術開発センター 研究員

  • 1990年

    東京大学農学部 助教授

  • 2000年

    第20回猿橋賞受賞

  • 2001年

    東京大学大学院農学生命科学研究科 教授

  • 2014年

    内閣府原子力委員会委員

  • 2016年

    東京大学名誉教授・特任教授

  • 2019年

    星薬科大学学長

  • 2019年

    スウェーデン・チャルマース工科大学名誉博士

  • 2023年

    福島国際研究教育機構(F-REI)監事

  • 2025年

    ヨーテボリ・リーゼ・マイトナー賞受賞(日本人初)

2026.10.29

「放射線」で見えない世界を映す

植物はどうやって生きているのだろう

私が幼少期を過ごした終戦直後の東京・池袋には、今では想像もできないような光景が広がっていました。
辺り一面は焼け野原で、目の前の明治通りを進駐軍の戦車が通ることもありました。高い建物はなく、空気も澄んでいて、晴れた日に窓を開けると、遠くに富士山がくっきりと見えました。

そんな焼け跡でも、草花はたくましく根を張っていました。
猫の額ほどのわが家の庭では、母が魚のあらを肥料にすると、ホウセンカやユキノシタがぐんぐん大きくなりました。
夏には縁側に腰掛けてスイカを食べ、種を「ぷっ」と庭へ飛ばして遊びました。何日かすると、あちこちの土から小さな芽が顔を出しました。

こうした幼少期の体験が、研究に直接結びついたのかはわかりません。
ただ、植物はいつも身近な存在でした。
ですから、のちに研究者となった私が、当時所属していた企業のプロジェクトで植物研究に携わるようになり、「植物はどうやって生きているのだろう」という関心を深めていったのもごく自然なことだったと思います。

生きた植物の中を「見る」

植物が生きるために必要なのは、水と二酸化炭素などのガス、そして窒素やカリウムなどの元素です。
人間のように糖やタンパク質を食べなくても光合成によって自ら糖を作り、それを材料にして根や茎、葉を伸ばしていくのです。
考えてみると、とても不思議なことです。

そのしくみを調べるには、生きた植物をそのまま見る必要があります。
中を見るために植物を切ってしまえば、本来の活動は変わってしまいますし、切らずに色水を吸わせても、見えるのはインクであって、水そのものの動きではありません。

そこで私が研究に使ったのが、「アイソトープ」です。
物質をつくる原子には、同じ元素の原子でも、原子核に含まれる中性子の数が異なる仲間があります。化学的な性質はほぼ同じですが、重さが異なります。これが「アイソトープ」、日本語で言うと「同位体」です。

「アイソトープ」のうち、時間とともに放射線を出すものを「放射性同位体」といいます。水や養分の一部を「放射性同位体」に置き換えて目印にし、そこから出る「放射線」を測ることで、水や養分が植物の中を、どこへどれだけ移動したのかを外から追うことができます。
「放射線」や「アイソトープ」は、生きている植物の中にある不思議な世界を見せてくれる、他に代えがたい研究手段なのです。

私はもともと「放射化学」を学び、博士課程では、原子炉を使って「放射性同位体」の半減期などを研究していました。
その知識と技術を植物研究に生かせば、これまで見えなかった植物の活動を見ることができると考えました。

そして、2011年3月11日。
東京大学大学院農学生命科学研究科の附属放射性同位元素施設に所属し、「アイソトープ」を用いた植物のイメージング研究を進めていたとき、東日本大震災が発生し、それに伴って福島第一原子力発電所の事故が起きたのです。

福島のために、何かをしなくては

「福島の農業と人々の暮らしを守るために、自分たちが動かなければならない」。事故当時、私たち農学部の研究者たちは誰もがそう感じました。
農業とは作物だけでなく、土壌や森林、河川、動物、魚、昆虫までが関わり合う環境そのものです。
東京大学農学部には、そうした分野の第一線で研究を重ねてきた専門家がいて、長年蓄積された多様な知が集まっていました。

この未曾有の事態に立ち向かい、福島の農業を再生へとつなぐために私たちができることは、その知を結集し、福島で何が起きているのかを確かなデータによって明らかにすることだと思ったのです。

ただ、当時は現地で何が起きているのか、まだ誰にもわかりませんでした。万一のことがあってはいけないと、若い研究者は連れて行かず、まず福島へ向かったのは、私を含む経験を積んだ教授たちでした。

私が福島へ入ったのは事故から数週間後でしたが、病院も避難所も支援センターも人であふれ、避難生活の現実を目の当たりにしました。
研究者たちは、そうした厳しい生活をしていた住民の方々にも話を聞き、調査をするために、何度も福島へ足を運びました。

ただ、通常の研究費は用途が決められており、福島へ繰り返し通う旅費などに使うことはできませんでした。そこで学部長が、すぐに動かせる調査資金を別に用意してくださいました。
私はまとめ役となってその資金を預かり、各研究者に配分し、それぞれが現地調査に必要な人員や機材を整えられるよう活動を支えました。

事故直後の福島へ

土壌の専門家は土を深さごとに採取して、放射性物質がどこにとどまっているのかを丹念に調べました。
森林の専門家は、高さ20メートルを超えるマツやスギを伐採し、長い幹を一定の間隔で切り分けて、放射性物質が樹木の中へどのように入るのかを確かめました。
ため池では、研究者がゴムボートに乗り、綱を頼りに水面を移動しながら、自作の防水型測定器で池底を測り続けました。
野鳥の専門家は、かすみ網を張り、捕獲したウグイスの羽に付着した放射性物質を調べました。

必要な測定器がなければ自分で作り、確かめたいことがあれば険しい山や森林、池にも入っていく。
その行動力と調査の徹底ぶりには、私も驚かされました。
長年、一つの分野を研究してきた専門家だからこそ、現場で気づき、確かめられることがあります。私は、そんな研究者たちの姿から教えられることばかりでした。

福島での調査では、私が長年「放射線」や「アイソトープ」を扱うなかで培ってきた知識と測定技術を生かすこともできました。
現地で採取された土や作物などの試料は、東京大学農学部の附属放射性同位元素施設へ次々と運び込まれ、私たちはその一つひとつを丁寧に測定し、誰もが確かめられるデータとして積み重ねていったのです。

また、土壌や稲を調べた研究から、放射性セシウムが土から稲へ移りにくいしくみも明らかになりました。
耕されていない水田の土を深さごとに調べると、事故から約2か月後の時点で、放射性セシウムの約96%が地表から5センチまでの層にとどまっていました。降り注いだ放射性セシウムの大部分は地表近くにとどまり、土の細かな粘土粒子や有機物に強く吸着していたのです。

こうした知見を踏まえ、表土の除去や、土を上下に入れ替える反転耕、深く耕す深耕が行われました。さらに、土壌にカリウムを適切に補うことで、稲による放射性セシウムの吸収を抑える対策も確立されました。

こうした研究成果は、全量全袋検査の結果とともに、福島県産米の状況を正確なデータに基づいて伝え、風評に向き合うための科学的な土台となりました。
2012年産米の全量全袋検査では、約1034万袋のうち99.8%で、放射性セシウムの濃度は1キログラム当たり25ベクレル以下でした。
基準値の100ベクレルを超えた袋は、全体の0.001%未満だったのです。

福島の正確なデータを発信

私たちは、福島で得られた調査結果を世界へ伝えるため、各分野の研究者の成果を論文にまとめ、世界的な学術出版社であるSpringerから『Agricultural Implications of the Fukushima Nuclear Accident』を刊行しました。誰でも無料で読めるオープンアクセスとし、2023年までに全4巻を刊行しています。

それらは世界中で広く読まれ、Springer Natureが公表するアクセス数は、合計で50万回を超えています。
なかでも第1巻は、10万回を超えるダウンロード数を記録し、英国放送協会(BBC)などの海外メディアも私たちの調査を取材に訪れました。

日本でも、福島の全体像と調査結果を伝えるため、NHKブックスから2013年に『土壌汚染―フクシマの放射性物質のゆくえ』、2021年に『フクシマ 土壌汚染の10年―放射性セシウムはどこへ行ったのか』を刊行しました。

また、東京大学農学部のサイトにある「復興支援プロジェクト」というページでは、今でも福島での研究成果や調査結果を読むことができます。(https://www.a.u-tokyo.ac.jp/rpjt/)

福島で何が起き、その後、放射性物質がどのように動いたのか。
私たちは、現場で得たデータを誰もが読める形で残してきました。
そのなかで、私は、「大丈夫です」「安全です」という言葉はあえて使いませんでした。
何を調べ、何がわかったのかを正確なデータとして示すことで、そのデータをもとに、一人ひとりが事実を理解し、判断できるようにすることが何より大事であると考えたからです。

ヨーテボリ・リーゼ・マイトナー賞

2025年、私はたいへん名誉なことに、「ヨーテボリ・リーゼ・マイトナー賞」を日本人として初めて受賞しました。
この賞は、物理学において画期的な発見をした研究者に贈られる国際的な賞で、これまでの受賞者には、後にノーベル賞を受賞した二人の研究者もいらっしゃいます。

授賞理由として挙げられたのは、植物の生理を調べる独創的なリアルタイム生体内イメージング技術を開発したことと、それを福島第一原子力発電所事故による農業や環境への影響の解明に生かしたことでした。
「放射線」や「アイソトープ」を使って植物の中を「見る」という基礎研究と、福島での調査研究。その両方を一つの研究の歩みとして評価していただいたことをたいへんありがたく思っています。

この賞の名を冠するリーゼ・マイトナーは、核分裂を初めて理論的に説明した物理学者です。
女性であるために研究室へ入ることさえ許されなかった時代を経験し、ユダヤ系であったことからナチス・ドイツを逃れてスウェーデンへ亡命した後も、研究を続けました。
しかし、核分裂の解明に大きく貢献しながら、1944年のノーベル化学賞は、長年の共同研究者であった男性化学者オットー・ハーンだけに授与されています。

マイトナーは核物理学だけでなく「放射化学」にも取り組み、「アイソトープ」を用いた実験も行っていました。
私もまた、「放射化学」を出発点に、「アイソトープ」を使って植物を研究してきましたので、困難な状況にあっても自らの研究を続けた女性科学者の名を冠する賞で評価されたことには、感慨深いものがあります。

このような歴史ある賞をいただけたことを大変光栄に思うとともに、これまで研究を支え、ともに歩んでくださった多くの方々に心から感謝しています。

原子力・放射線分野で働く女性たちへ

福島の復興を科学技術の力で支え、その先に新しい産業を生み、次の世代を育てる中核拠点として、2023年に福島国際研究教育機構(以下、F-REI)が設立されました。私は発足時から監事を務めています。

F-REIでは、福島が直面してきた課題や地域の特性を踏まえ、ロボット、農林水産業、エネルギー、放射線科学・創薬医療と放射線の産業利用、原子力災害に関するデータや知見の集積・発信という5つの分野を掲げています。

F-REIは今、研究組織と施設を一から築いているところです。
決して簡単な道のりではありませんが、福島に根ざし、地域とともに歩む世界水準の研究拠点を目指して、一歩ずつ前へ進んでいます。

こうした新しい研究拠点を育て、福島の未来へつなげていくためには、これからの時代を担う若い世代やさまざまな分野で力を発揮する女性たちの存在が欠かせません。

私が研究者として歩み始めた頃と比べれば、女性を取り巻く環境は大きく変わりました。これからは、性別ではなく、一人ひとりの能力や専門性が、より大切にされる時代です。
だからこそ、原子力・放射線の分野で働く女性の皆さんには、自分の可能性を狭めず、興味を持ったことには果敢に挑戦してほしいと思います。

研究の世界では、「何の役に立つのか」「どのような成果につながるのか」が求められがちです。しかし、すぐに答えの出ない地道な基礎研究も決しておろそかにできません。
自分が本当に知りたいことを徹底的に追究し、基礎研究を行い、知識と経験を積み重ねていく。その蓄積こそが、思いがけない出来事に直面したとき、社会を支える力になるのです。

私の研究も、「植物はどうやって生きているのだろう」という小さな疑問から始まりました。その問いを追い続けて得た知識と技術が、思いがけず福島で役立つことになりました。

ですから皆さんにも、自分の「知りたい」という気持ちを大切にしてほしいと思います。今取り組んでいることが、いつ、どこで、誰の役に立つのかは、すぐにはわかりません。それでも、積み重ねた知識と経験は、いつかきっと、誰かの未来を支える力になると私は信じています。
(この記事の内容はインタビュー当時のものです)